かわじり ひでゆき議員 逝去 議員かわじり ひでゆき氏(自民党・道民会議、函館市選出)は、病気のため、1月27日逝去され、2月22日、函館市「花びしホテル」において、お別れの会が執り行われた。享年76歳。なお、2月25日第1回定例会本会議において、よしかわ たかまさ議員(自民党・道民会議、札幌市北区選出)が追悼演説を行い、次いで、全員起立のうえ黙禱が捧げられた。 追悼演説 私は、北海道議会を代表し、去る1月27日に御逝去されました北海道議会議員かわじり ひでゆき先生の在りし日の面影をしのび、謹んで追悼の言葉を申し上げます。 かわじり先生に病魔の手が迫ったのは、令和2年4月頃のことであります。肺がんと診断され、手術を受けられました。1度は落ち着かれたものの、約半年後に再発。その後は、札幌医大病院に入退院を繰り返しながら、抗がん剤・放射線治療に気丈に立ち向かっておられました。  私には、折に触れ電話をくださり、「議員会は問題ないか」と、仲間のことを気にかけられたり、「あしたからまた抗がん剤治療だ、頑張るよ」と、病状の御報告もいただいておりました。  昨年4定中に議会にいらした際には、痩せたお姿に、闘病のすさまじさをかいま見た思いでありましたが、先生は元気な声をかけてくださいました。 今思えば、病に立ち向かいながら、私のことも気遣ってくださったのでありましょう。 年末の12月24日には、函館に車で移動しており、年明けから地元の病院に入られること、年明けの委員会は欠席されるとの電話があり、飛行機ではなく、車で帰宅されることに一抹の不安を覚えたのでありました。 最後の電話は1月25日。先生は、「たかまさ先生、俺はもう、明日、あさってだ、世話になったな、ありがとう、ありがとう」と、息苦しそうな声で何度も繰り返され、その鬼気迫る状況に、私は、「先生、本当にお世話になりました、ありがとうございました」と、お礼の言葉を繰り返すしかありませんでした。 そのような電話をいただいてもなお、またしっかり持ち直されて、いつもの笑顔の先生にお会いできるのではないか、そんな希望も持っておりましたが、1月27日、先生の訃報に触れることになったのです。 かわじり先生との出会いは、私が議員秘書だったときのことであります。 20代の若造だった私にも、先生は気さくに声をかけてくださいました。あの軽妙な語り口でした。 私が初当選させていただいた平成23年以来、さらに親しくお付き合いさせていただきました。 議会派遣の海外視察に御一緒させていただいたり、先生の音頭で、会派内の大学同窓の議員と道幹部の皆さんとの懇談の機会も持っていただきました。 平成28年からは、北海道・北東北縄文遺跡群の世界遺産登録を目指し、御一緒に活動させていただきました。 同年5月、自民党道連に設置した推進調査会の会長がかわじり先生、私は事務局役を担い、当時のすが官房長官をはじめ、国会議員連盟の役員、文化庁などへ要望活動を行いました。 それから、道が実施するフォーラムや、国会議員と4道県の決起集会にも毎年参加をし、世界遺産登録と地域の活性化を目指して、歩みを共にさせていただきました。 精力的に活動をこなす先生の背中は、小柄な体に反して頼もしく大きく見え、私も先生の後ろについていくのが好きでした。 幾度となく上京するたびに、赤坂のそば屋でお昼をごちそうしていただくのが定番になりました。「うまいものを食って力をつけないと駄目だぞ」と言って、先生も2枚のそばをぺろりと平らげられ、そして、世界遺産登録を必ず実現して、北海道を元気にしようと、決意を新たにしたものです。 僣越ながら、先生からすれば、私は頼りない息子のようにも思っていただいたかもしれません。 先生とはたくさんの話をさせていただきましたが、思い返せば、先生は、いつも、物事には道理があり、人として取るべき道があるということ、信義をたがえず、誠実を貫くということをおっしゃっていたように思います。 それは、決して大上段から語るものではなく、いつもの かわじり節の中に伝えてくださっていたのでした。 飾ることない人柄と情緒豊かな語り口で、多くの同僚、後輩にも慕われていた かわじり先生、義理人情に厚いという言葉では表現し切れないほど、包容力と人間味あふれる魅力を持った方でありました。 かわじり先生は、昭和20年8月3日、旧樺太でお生まれになりました。 終戦の混乱の中、乳飲み子の先生は、衣服と一緒に柳行李に入れられて、北海道に引き揚げられたと言います。 この命からがら生還されたという経験は、先生の人生、とりわけ政治家としての先生の原点であり、生まれ変わったつもりで活動するという先生のモットーにつながっておられます。 この柳行李に入って帰ってきたというエピソードは、後年、御自身の選挙演説や仲間内での懇親の場でもよく話され、特に、地元では知らない人はいないくらい有名であったと言います。 北海道函館西高等学校を経て、昭和43年に、日本大学法学部政治経済学科を御卒業、叔父様である北海道議会議員かわじり外治先生の秘書として研さんを積まれ、昭和58年、函館市議会議員に初当選されました。 市議会では、総務常任委員や建設常任委員等を歴任され、北海道と本州を結ぶ玄関口であり、歴史、文化の豊かなまちである函館市の発展に御尽力されました。 北海道議会議員に初当選されたのは平成3年4月、実に3度目の挑戦で、苦労の末、つかんだ初当選でありました。以来、8期30年の長きにわたり、優れた政治手腕をもって、道政の発展と道民福祉の向上に心血を注いでこられました。 先生が議会での発言をまとめて刊行された冊子の中に、幸せを応援しますという先生の政治信条がつづられております。 前述した終戦期、戦後を生き抜いてこられた御経験、御苦労された経験が、多くの人の幸せを応援したいという政治信条のもと、進取果敢な議会活動に先生を駆り立てたことは想像に難くありません。 道議会にあって、かわじり先生は、生活福祉副委員長、水産林務副委員長、建設委員長、総合開発調査特別委員長など、数々の要職を歴任され、道議会に大きな功績を残されております。 平成11年に就任された建設委員長時代には、活力ある地域づくり、まちづくりを支援し、良好な生活環境の創造、安全で安心できる国土の実現を図るため、北海道の道路行政の推進に注力されました。 また、平成13年には総合開発調査特別委員長に就任されましたが、折しも第3次北海道長期総合計画が前期実施計画から後期実施計画に切り替わる時期にあり、市町村の意向を十分に反映させた実施計画の策定に導くなど、多大な貢献をされたところであります。 先生は、常に、地域と人に視点を置くということを掲げられ、道政推進に奮闘されてこられましたが、一般質問においては、道庁不正経理を厳しく追及するといった一面も見せ、平成10年第 1回定例会では代表質問に立たれ、知事が目指す自立型社会や本道経済の活性化など、道政の各般にわたり、論戦を繰り広げられました。 地元・函館市の基幹産業である水産業の振興には粉骨砕身の思いで尽力されるとともに、経済活性化には特に心を砕かれ、ガゴメ昆布の製品化と産業クラスター形成に黎明期から関わっておられます。 北海道新幹線の誘致にはライフワークとして取り組まれ、道理事者の皆様とも、時には丁々発止のやり取り、時には同心協力した国への要望活動など、精力的に御活躍をされました。 平成16年6月の函館-青森間の新規着工決定、平成28年3月の開業と、長年の悲願が達成されたことは、先生の功績大であることは誰もが認めるところであります。 そして、本道の財産とも言える縄文遺跡群の世界遺産登録に向けては、先ほど申し上げた平成28年5月の国への要請を皮切りに、遺跡群の価値の磨き上げ、政府への要請、関係者間の連携と協働などに腐心され、先頭を切って取り組んでおられました。 平成30年4月には、全道議会議員の参加をもって設立された、縄文遺跡群の世界遺産登録を目指す北海道議会議員連盟の会長に御就任され、並々ならぬ情熱を傾けられた結果、昨年7月、世界文化遺産への登録が決定。先生は、御地元の皆様とともに歓喜の瞬間を見届けられました。電話口での先生の喜びに弾む声は忘れることができません。 足かけ5年にわたる道のりは平たんなものではありませんでしたが、先生と一緒に取り組んだ時間、経験は、私にとってもかけがえのない財産となりました。 これから、本道の文化と観光の振興、地域の発展に寄与していこうと気勢を上げていた矢先だっただけに、なおさら無念でなりません。 この追悼の言葉に当たり、先生の思い出、政治家人生を振り返ったとき、困難な課題に果敢に立ち向かうことの高邁さ、信念を曲げず、目標を達成するまで決して諦めないことの大切さを改めて教わった思いがいたします。 コロナ禍はいまだとどまることを知らず、疲弊した本道経済の回復、道民の命と健康を守る取組は、常に、私たち議会の最優先課題として突きつけられております。 一方で、複雑化する国際情勢もあり、また、本道は、ポストコロナを見据え、カーボンニュートラルやSociety5.0といった新たな社会基軸の構築に向け、知恵を出し合い、一致協力して持続可能な未来へと向かっていかなくてはならない重要なときを迎えております。 このようなときに、道議会の重鎮の一人として、卓越した識見と人を取り込む魅力にあふれたかわじり先生を失いましたことは、御遺族、地元・函館市のみならず、道議会、北海道にとっても大きな損失であり、痛恨の極みであります。 私たちは、この北海道の政に関わる身として、先生が生涯をかけて大切にした、人の幸せの助けとなり、道民の皆様が心豊かに人生を送れるよう、先生の思いを引き継いで、北海道の発展に努めてまいる決意であります。 今はただ、御霊の安らかな御冥福と、先生が愛してやまなかった御家族の皆様の前途に限りない御加護を賜りますようお祈り申し上げ、北海道議会を代表して追悼の言葉といたします。 かわじり先生、本当にありがとうございました。 令和4年2月25日 北海道議会議員 よしかわ たかまさ