たけうち ひでのぶ議員 逝去 議員たけうち ひでのぶ氏(自民党・道民会議、上川地域選出)は、病気のため、7月9日逝去され、7月15日、美瑛町「美瑛町町民センター」において、葬儀が執り行われた。享年61歳。なお、9月14日第3回定例会本会議において、きた りゅういち議員(自民党・道民会議、十勝地域選出)が追悼演説を行い、次いで、全員起立のうえ黙とうが捧げられた。 追悼演説 私は、北海道議会を代表し、去る7月9日に御逝去された北海道議会議員たけうち ひでのぶ先生の在りし日をしのび、謹んで追悼の言葉を申し上げます。 たけうち先生とは、控室が一緒、議席は隣、さきの第2回定例会でも、いつもと変わらぬ様子で、私たち同僚議員や執行機関の皆さんとやり取りされていた姿が鮮明に浮かんでまいります。 また、閉会の翌週、旅立たれる3日前の7月6日にも議会に見えられ、いつもと変わらぬ御様子でお仕事をされておりましただけに、突然の悲報に耳を疑い、呆然とするばかりでありました。たけうち先生、あなたとは、平成7年、第25期の同期として道政に立ち、自来7期26年を共にしてまいりました。その御縁は、私が秘書をしていた故なかがわ いちろう代議士と、本道林業界を代表する先生の御父君との親交に遡ります。 道議会議員となってからは、道の苗畑の在り方について、地域の雇用問題などを含め、語り尽くせぬ御教示と、そして御助力を御父君共々賜りました。これにより、十勝のあるまちがどれだけ助けられ喜んだことか、思い出されてなりません。 また、高規格救急車については、中心市に配備するという段階にあった当時、私が、その遠隔地への配備や人工透析を行う医療機関の都市部偏在の解消などについて思いあぐねていたところ、先生が、「それをやろう」と明快に方向性を示され、協力して実現の運びとなりました。 先生は、世の移ろいや方向性というものを絶えず的確に把握しようとしていたのだと思います。一方、同期であるがゆえに、好むと好まざるとにかかわらず、競わなければならない局面もありましたが、事が済めば何もなかったかのように、林業関係の会などをずっと一緒に続けてきた、誠に懐の深いナイスガイでありました。 そして今、私は、先生から、党道連会長代行と、党と議員会合同の新型コロナウイルス感染症対策本部長代行を引き継ぐこととなりました。そして、この追悼演説、言葉もなく、ただただ人の世の無常を恨むばかりであります。 たけうち先生は、昭和34年10月1日、後にあなたが最も大切にした、豊かな自然景観と人の心の融合により築かれた、風光明媚な丘のまち・美瑛町でお生まれになり、地元小中学校、学校法人日出学園高等学校を経て、昭和57年に東京農業大学を御卒業後、当時、郵政大臣でありました衆議院議員みのわ のぼる先生の秘書として研さんを積まれました。 昭和59年からは、家業に従事される傍ら、北海道商工会青年部連合会副会長に就任されるなど、多くの社会貢献活動に取り組んでまいられました。 平成7年4月に北海道議会議員に初当選されましたが、その矢先に、御子息と御父君が相次いで逝去され、御自身も長期の加療のやむなきに至るも、持ち前の強い精神力でこれらの試練を乗り越えられ、7期26年の歳月にわたり、北海道と北海道の山、そして美瑛のために身を削り、心血を注いでこられました。 道議会にあって、先生は、議会運営委員長、道州制・地方分権改革等推進調査特別委員長を歴任され、若い頃から自ら厳しく培ってきた高い政治理念と優れた政治手腕をもって道政上の諸課題に向き合ってこられました。 平成17年に就任された議会運営委員長時代には、議会空転の徹底回避という確固たる信念のもと、強力なリーダーシップを発揮されました。 平成19年には、道州制・地方分権改革等推進調査特別委員長に就任されましたが、折しも、現在の総合振興局・振興局体制に向けた支庁制度改革の山場で、方向性を定めることができずに年度末日まで会期延長が一日一日と続く中、道庁幹部に対して、時に、諭すようにまとめようと努力する姿が、まるで昨日のことのように思い出されてなりません。 先生は、その出自からも、北海道の森林、林業への造詣が深く、その発展を願い続けておりました。 超党派で構成される北海道森林・林業活性化推進議員連盟の会長を務められ、平成30年には、道民の皆さんが、植樹及び育樹を通じて、北海道の森林の豊かさや様々な恵みに感謝する心を育むための、北海道植樹の日・育樹の日条例の制定に深く関与されたところであります。 さらに、全国の林活議連の会長に就任し、特に本道の山を守るため、森林整備予算の確保には徹底して尽力され、中央要請の際には鬼気迫る場面があったと聞き及んでおります。 また、先生は、初当選後、平成7年第2回定例会での初めての一般質問において、森林整備の担い手対策について質問され、その後、2人で半日かけて林産試験場を視察したこともありました。 あの先生の質問から、四半世紀の歳月を経て、昨年4月に、その林産試験場に隣接の北海道立北の森づくり専門学院、通称・北森カレッジが開校されました。先生の家からもすぐそばであります。長年にわたる先生の情熱が花開いた瞬間であり、本年4月の新校舎落成式に出席され、その打合せのときの先生のあのお顔を忘れることができません。 これからの北海道林業を背負って立つ学院1期生の卒業を見送ることができなかったことは残念に思いますが、先生が敷いたレールは、確実に北海道林業の発展に寄与していくものと思います。 今、北海道は、新型コロナウイルス感染症の終息が見えない中、厳しい試練のときにありますが、先生は、その当初からこの6月まで、党と議員会合同の新型コロナウイルス対策本部長代行として、道議会の側の指揮を執ってこられました。奇しくも、私がその後任を拝命いたしましたが、この巡り合わせをしっかりと受け止めてまいります。 このような重要なときにたけうち先生を失いましたことは、御遺族はもとより、道議会、北海道にとっても大きな損失であります。 61歳での旅立ちはあまりにも早過ぎます。どんなにか無念だったか、それとも生き切ったと思っておられるでしょうか。 多くの人々から慕われ、頼りにされていたたけうち先生は、天上から御家族と北海道、そして、美瑛の未来に思いをはせておられることと思います。 心から御冥福をお祈り申し上げ、北海道議会を代表して、追悼の辞といたします。 令和3年9月14日 25期同期 北海道議会議員 きた りゅういち